企業理念と社風
新井組の社員は、実に個性豊かだ。
それぞれが高い技術と能力を持ち、
情熱を胸に仕事と向き合っている。
すべての社員が個性や能力を発揮できる企業風土、
全社一丸となって壁を乗り越え、
成長を目指す向上心。
個人の高い能力が集結した時、
新井組はより強固な強さを発揮する。



新井組のサクセスストーリー
建築工事や土木工事等、
全国各地のさまざまな施工を担う新井組。
1944年の設立から75年に及ぶ歴史は、
決して順風満帆ではなかった。
挑戦と革新、社会的躍進、
そして、試練からの復活。
激動の歴史が、
現在の新井組の団結力と強さにつながっている。

新井組の発祥は1902年(明治35年)、新井粂次郎が三重県津市で土木建築請負業を興したことに始まります。その後、西宮に拠点を移し、1944年(昭和19年)に株式会社新井組を設立。わずか9名でスタートしました。第二次世界大戦後は、焼け跡建物除去、道路、下水道土地区画整理、公営住宅建設工事など数々の震災復興工事を請け負いました。その後、銀行や電機メーカーなど以後の日本の発展に寄与する大企業の得意先が次々と生まれ、経営基盤を堅固なものにしていきます。1950年代、高度経済成長へ日本中が活気づく中、営業拠点を名古屋、東京へと展開。ボウリング場、マンション建設のほか、大阪万国博覧会の関連工事、東海道新幹線の高架橋工事など、時代の最先端を担う公共事業にも参入します。1973年のオイルショックによる不況も全社一丸で乗り越え、1983年から市街地再開発事分野に進出するなど事業を発展。1989年の東京本社の開設は全国の新井組へ躍進する足がかりとなりました。

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。新井組では発生直後から、西宮本社と神戸支店に震災対応拠点を置き、昼夜を問わず倒壊家屋からの人命救助に奔走。阪神高速道路の通行路の整備、倒壊した橋梁の緊急補強、医療施設への支援、緊急資機材の調達と配布など、地域の救援活動に全力を注ぎました。また、兵庫県、神戸市、西宮市など行政からの緊急対応要請や調査協力要請、日本建築学会や土木学会等の学術調査にも数多く協力し、内外に発表しました。被災地に本社を置く建設会社として、新井組社員の一人ひとりが「社会、地域貢献こそ建設業の使命」であることを改めて認識しました。

荒川右岸取付高架橋耐震補強(埼玉県)
震災の復興に尽力し日常を取り戻す一方で、バブル期に手がけた不動産開発投資の損失が拡大。経営的に負のスパイラルに陥り、2002年、新井組は自力再建を断念します。3年間に及ぶ経営改善計画の策定により経営再建を目指すものの、建設業界を取り巻く環境は厳しさを増す一方。リーマンショックが起きた2008年にはマンションディベロッパーの倒産の影響から株価も下落、新井組に対する信用不安が発生し、業績はさらに悪化を続け、東京地方裁判所に民事再生手続き開始の申立てを行いました。最大の試練から再生を目指すことになった新井組は、自主再建の道を選択。「戸の一枚の取り換えから」との想いで小さな仕事でも受注し、再生への道を歩み始めます。経営再建に取り組むなか、2011年に東日本大震災が発生。新井組は仙台、岩手に営業所を開設し、緊急対応や建物調査、復旧・復興工事に速やかに対応しました。

第二東名高速道路静岡サービスエリア(静岡県)
2011年7月、新井組は再生計画より1年前倒しで民事再生手続きを終結させます。会社の再建を確実にするため、新3ヶ年経営計画、2013年秋には「経営ビジョン2020」を策定。将来の姿を社員全員が共有することで個々の社員が自らの力を最大限に発揮し、その結果総合力が大きく向上。建設市場の好転もあり業績が改善し、数値目標の達成を実現させました。新井組が度重なる試練を乗り越え、再生し、現在まで存続できたのは、社員の一人ひとりが新井組設立以来の企業理念である『基本方針』を胸に、各々の役割を果たしてきたからです。『基本方針』にある誠実さ、質実剛健、挑戦と革新、使命感、そして新井組が好きだという気持ちが、成長への大きなエネルギーとなったのです。再生から成長へ、そして2019年、新井組はさらなる成長に向けて「新井組2030ビジョン」を策定。より強固で、外部環境に左右されることなく、しっかりとした揺るぎない会社へ。新井組はこれからも一歩ずつ着実に、さらなる進化を続けていきます。
業績データ
